三分の一

16世紀西欧軍事史やテルシオについて書く。

イングランド軍事書籍に見る騎兵種と騎兵防具の変遷 1598-1671

本稿では1598年に出版されたRobert Barret著『The theorike and practike of moderne warres』から1671年出版のGeorge Monck著『Observations upon military & political affairs』までのイングランドで発行された軍事書籍5書から騎兵種と騎兵防具の変遷を追った。騎兵種と騎兵防具の変遷はしばしば16世紀から17世紀の軍事上の変化を表すものとされながら、その詳細はあまり知られておらず、何がいつどのようにどの地域で変化したのかを詳述した日本語書籍は意外とない。この文章はイングランド*1で発行された軍事書籍を対象に、何がいつどのように変化したのかを記述することを目的にしている。対象とした書籍の少なさや史料批判など問題は色々あるがとりあえずやっていく。記述形式として最初に軍事書籍の中から騎兵種と騎兵防具の変遷に関わる記述を時系列順に書き出し、次いで騎兵種の変遷と騎兵防具の変遷について記し、最後に結論を述べる。

イングランド軍事書籍における騎兵種と騎兵防具の変遷

出版年:1598年
著者:Robert Barret
The theorike and practike of moderne warres

Man at Armesはcuyrass of proof(防弾胸甲)とbeaver(顎あて)のついたclose helmet、gorget(喉当て)、pouldrons(肩甲)、vambraces(腕甲)、gauntlets(籠手)とtaisses(下腹部から腿を覆う防具、草摺)、鋼鉄で先端が覆われた強力な馬上槍と剣、鞍に取り付けたメイス…で完全に武装している(armed complete,)。 …このCōpanie of Ordinanceは数少ないが、質が高く、良い生まれの紳士(Gentles of good birth)であり、その突撃は凄まじい。

Lanciersの武装は前面がPistoll proofeであるペアになった良い胸甲、覗き見のついた頑丈なcask、肩甲には二つのl’ames、二つか三つはPistoll proofeな草摺を身につける。肩甲、腕甲、籠手、草摺、胸甲は軽い方が良いだろう。鋭く尖った馬上槍、良質なカトラス、短剣、鞍には皮のケースに一丁のピストルを持つ。

PetranellとPistolierはpistoll proofe(防弾)な胸甲とLancierのようなオープンブルゴネットと良い肩甲、右手の籠手で武装し、腕甲は身につけない。その代わりにLancierのものと比べてより安く、軽量な武装となる。上質なショートソードと短剣、スナップハンス式の一丁のPetranell(特徴的な銃床を持つ銃)、またはフランスで用いられているような長めのピストルと鞍に取り付けれられた革のケースか、ペアになったピストルをR•yttersのように(原文:as do the R•ytters)一つのケースに納めて持つ。彼らの働きは(原注:前述のLancierのように)敏捷な働きがほとんどであり、銃手による備えが十分でないパイク兵を苛立たせることにある。

出版年:1625年
著者:Gervase Markham
The souldiers accidence. Or an introduction into military discipline containing the first principles and necessary knowledge

旧流の戦争と火力の時代の前には、最も優秀なのは全員が貴族や騎士で構成されていたMen at ArmesまたはGentlemen at Armesと呼ばれる騎兵であった。…彼らは頭をclose cask、首には喉当て、Hargobus proofeな胸当てとそれよりは防護力の低い背当て、肩には肩当て、腕には腕甲、手には籠手、下腹部は草摺、膝にはCui?ses、足にはすね当てと全身を防具で覆い、ヴェルベット、サテン、S**ke、その他の備品とガードル、とハンガーを欲していた。攻撃のためにはguilt Swordと短剣、先端が鋼鉄で覆われた馬上槍、弾薬箱と数丁のピストル、戦斧を持っていた。

第二の騎兵はLaunciersまたはDemilaunciersと呼ばれ、全身をGentlemen at Armesと同じく覆っていた。 攻撃のために馬上槍、数丁のピストル、戦斧、剣と短剣を持つ。

第三の古流な騎兵はLight-horseと呼ばれ、ブルガネットか鉄帽と、喉当て、CuiratかPlate-coats、籠手か鎖の手袋で武装していた。 攻撃のために、細身の彫金されたピストルを一丁、または複数と剣と短剣を持っていた。

一般的な第一の主要な騎兵は、CuirassiersまたはPistol∣leirsと呼ばれ、これらの兵士はGentlemanの地位に当たることから最も高度な者たちでなければならず、また尊敬されなければならない。彼らは防具として喉当て、Cuirat, Cutases、小札またはGuard-de-Reine…肩甲と腕甲、左手の籠手、草摺、Cuisses(太ももを防護するため防具、腿当て)、兜…を持つ。攻撃のために、スナップハンス式の長いピストル数丁を持つ。

第二の、そして騎兵の多くを構成する兵科はHargobusseirsと呼ばれ、彼らは最良の自由農民か、活発で敏捷な体を持つ最良の使用人からなる..二等級の者である。これらの兵士は防具として、喉当て、胸甲、草摺、肩当て、腕甲…を持つ。攻撃のために、3フィートのHargobus(アルケブスの異体字であると思われる)と弾薬箱、良質な剣を持つ。

最後に騎兵を構成する兵種はDragonsと呼ばれ、騎乗歩兵の一種であるが、むしろlight Horsemenの後継であり、あらゆる戦争活動において素晴らしく役立てられている。彼らの防具は頰当て付き兜、良いバフコートであり、攻撃のために鉄製のDragon(Dragon用の銃器と思われる)を右肩に通した皮のベルトにもち、銃と鉄の輪で繋げられている。これらのDragonは16インチの銃身とマスケットの口径をもち、ファイアロック式かスナップハンス式である。彼らはまた弾薬箱も携帯する

出版年:1632年
著者:John Cruso
Militarie instructions for the cavallrie

Lancier 彼の武装はclose casqueまたは兜、喉当て、胸甲、 pistoll proof(原注:胸甲あらゆる部分を含む)であり、calliver proof(原注:placcateを加えることによる)な背甲、肩甲、脛当て、二つの籠手、tassets, cuissets, culets,またはguard-de-reinである。これらは全て体に合ったものになる。吊るし輪と帯のついた一振りの良い剣(硬く、よく切れ、鋭いもの)を胸甲に抜きやすいよう身につけ、長い裾のついたバフコートを鎧と服の間に着る。彼の馬上槍は以下の方法であることが望ましい:後端にかけてやや太く、先端は三叉かもしくはパイク状であり、強く鋭く作られていること、長さは約18フィートであり、もしそうでなければ歩兵や騎兵に対して小さな効果しか得られない。後端から2フィートには穴をあけ、槍をしっかりと保持し、操るために、革紐を通して右腕で固定する。右側の鎧の外には革の受け口を取り付け、槍の後端を差し入れて置く。鞍は見目麗しく、乗り手に都合よく合うように作られ、戦闘の衝撃(原文:the violence of a shock)に対しても乗り手を固定させ続けなければならない。その時に彼は二丁とは言わないでも一丁の、十分な口径と長さをもつピストルを、銃に重要なものやカートリッジと持つべきである。

Of the arming of the Cuirassier Cuirassierは全ての箇所に防具を纏い、腕の下にバフコートを騎兵槍のように身につける。・・・彼は銃身長18インチ、20口径のファイアロック式ピストルのケースを二つ持ち、鞍に吊り下げ、Lancierの持つような鋭い良質な剣を持たなければならない。 この種の騎兵は最近Lancierが以下に挙げる理由のために得難い時期に考案された。その理由として最初にあげられるものは馬によるもので、それは必ず良質であり、よく訓練されていなければならない。次の理由は彼らの給料が金銭の欠乏のため引き下げられた事、三つ目の、そして主要な理由として、学ぶためにより苦心と勤勉さが必要な槍を用いるための練習・訓練の欠乏がある。Cuirassierはこの槍からLancierを解放するためだけに考え出された。

Harquebusierはピエモンテでの戦争中にフランスで考案された。MelzoとBastaはどちらも(訳柱:Harquebusierが)武装していないか(ただし彼らは他の者によりこれが否定されていると認めている)、わずか(頭部と胸部のみ)な、しかし最も重要な箇所にのみ防具をつけているとしている。 しかし、低地地方連合諸州の勅令では、明白にHarquebusierがopen cask、喉当て、騎兵用の背甲および胸甲を身につけなければならないと命令しており、Captain Binghamは、低地地方においてpistoll proofな胸甲を配置した。その上戦争評議会によって議決された最新の指令によれば、Harquebusierは(上質なバフコートに加えて)Cuirassiersの装備するpistoll proof背甲と胸甲、兜を装備している。

Of the arming of the Dragon. Dragonはパイクとマスケットの2種類に分けられる。パイクはより運びやすくするために中程に革の紐を持つ。マスケットは銃床のほとんど端から端まで紐またはベルトが留められており、これによって背中にマスケットを吊るす事で左手で燃える火縄を持ち続ける事ができる。 ...Dragonは騎兵を補佐する特別な任務のために歩兵として発案された。

出版年:1639年
著者:Robert Ward
Anima'dversions of warre

Cuirassierは完全に武装し、pondrous armourが体を挟むのを防ぐために良いバフコートと共にCapapèを身につける…そして鞍には…両側に良質な、銃身18インチ、20口径または24口径のファイアロック式のピストルを入れたケースを取り付け、スパナと弾薬箱、剣をもち、敵と識別するため腕にスカーフを取り付ける。彼の戦争での役割は主に守備的なものになる。

これらの種の騎兵(訳注:HarquebuziersとCarbinesと呼ばれる騎兵を指す)はopen Caske、喉当て、Pistoll proofe以上の背甲と胸甲、体を打撲から守るための上質なバフコートで武装する。首からは革の紐を下げ、Cuirassiersのように弾薬箱とフラスコを繋げる輪に通す。

出版年:1671年
著者:George Monck
Observations upon military & political affairs

騎兵の武器は以下にあげるものである。 良い銃床を持つスナップハンス式の騎兵銃(原文:Carbine)、または銃身を騎兵銃の銃身の長さを持つマスケット—-これは単なるカービンよりも握りやすいと考える。そして長い縫いひだとベルトも持ったピストル数丁を収めるケース。 騎兵の防具は以下にあげるものである。 顔面を守るための三本の鉄の横棒を持つ兜、背甲と胸甲、この三つはPistol-proofである。左手には籠手または良質で長いバフグローブ。幅8インチの二重のもみ革でできたガードルはダブレットの下に身につけ、ダブレットに引っ掛け、一緒に留める。もみ革を見つけるのが難しいか高価な場合、未去勢の雄牛か去勢済みの雄牛の革から作る。

Dragoonの武器は以下にあげるものである。 マスケット一丁、またはスナップハンスをマスケットの銃身に取り付けたもの—-Dragoonが馬上でスナップハンスを扱う場合や夜間に敵に発見されないようにするにはより良い。Dragoonはマスケットを吊るすベルトと二本の負い革、長い裾のついたベルトを装備しなければならない。 また全てのDragoonはスワインフェザーを装備しなければならない。

騎兵種の変遷

Barretは騎兵をは3種類ないしは4種類に区分し、このうちMan at ArmesをGentleからなる全身を防具で覆った槍騎兵としている。これはおよそ30年後にMarkhamによって「旧流」と見なされており、Barretの時代にはすでに減少していたこの兵種は、1620年代までに姿を消していた。 一方で、同じく槍騎兵の一種であるLancierもMarkhamによって「旧流」の枠に入れられているが、Crusoは現役の兵種であるCuirassier等と同等に扱っている。これはMarkhamとCrusoがそれぞれ異なる情報に基づいて執筆したためと思われる。Crusoは執筆の際にGiorgio BastaやLodovico Melzoなど、イングランド国外の軍人によって1600年代初頭に執筆された騎兵の戦術教本を参考にしており*2、一方Markhamは1601年までに軍人としてのキャリアを積み、馬に関する専門的な著作を含む多数の著書を持つなどしていた*3。記述の差異はこうした2人の著者の背景に由来すると思われる。つまり2人のうちどちらかの記述が正しいかと言う観点ではなく、当時存在した騎兵の装備に関する様々な意見を反映したものと考えるべきであり、Lancierはイングランドでは見られなくなったが大陸では縮小しながらも戦力として存在していたのだろう。CrusoがCuirassierを「Lancierを槍から解放するために発案された」とLancierの後継兵種として扱っているのも重要である。Crusoよりやや遅くに出版されたWardの著書に、Lancierに関する記述が無いのもそのためと思われる。 Barretの著書に見られるその他の騎兵種のうち、Pistolierは短銃を装備する点から見て後のCuirassierに近く、もう一つのPetranellはHargobusseirs(又はHarquebusier、Harquebuziers)、もしくはDragonerと同じ兵種であるように見える。 MarkhamはDragoonを「騎乗歩兵の一種であるが、むしろlight Horsemenの後継であり」としており、Crusoも「Dragonは騎兵を補佐する特殊な任務のために歩兵として発案された」と述べていることから、この二者はDragoonを通常の騎兵と異なる騎乗歩兵としていることがわかる。しかしBarretはPetranellが騎乗歩兵であるのか騎兵であるのかについて触れておらず、単に機動力が高いSkermisherであるとしか述べていない。Barretの認識ではこの二種の兵種は未だ未分離であったと考えるべきだろう。 Markhamの言うlight HorsemanはBarretの言うPetranellそのものか近い兵種であり、1598年以降に騎乗戦闘を行う兵種と下馬戦闘を行う兵種に分離したと考えられる。
1671年のMonckはHarquebusseirについて触れず、馬上でスナップハンス式の銃器を扱うDragoonについて記述している。これはDragoonがもはや騎乗歩兵ではなく騎兵種として認識されていたことを示しており、この時点でHargobusseirとDragon両者が統合されていたか、Dragonが馬上戦闘を行うようになった結果Hargobusseirsが役割を失い消滅したと考えるべきだろう。

騎兵防具の変遷

騎兵の装備、特にCuirrasierに比例される騎兵種の防具は1598年のBarretから1639年のWardに到るまでほぼ変化がなかったと思われる。

Markhamが詳述しているCuirassierの防具はBarretが詳述するPistolierよりもLancierに胸甲の有無やCuirat, Cutases、Cutasesなど多くの点で共通しているが、これはCrusoの主張にあるCuirassierが誕生した経緯が「Lancierを槍から解放するためだけに考え出された」とある通 り、当初のCuirassierが「槍を持たないLancier」として考案されたためと考えられる。
WardおよびCrusoはCuirassierの防具を「to be compleately armed」「be armed at all points」と記述しているが、これは全身を防具で覆っていた事を示すものだろう。
一方でHaruquebusier、Dragonerの装備には変遷があったことがうかがい知れる。
BarretはPetranellは胸甲を身につけないとしており、MarkhamもDragonsの胸甲には触れず、兜とバフコートのみを記述している。しかしMarkhamはHargobussierが胸甲や肩当てを装備しているとしている。CrusoはHarquebusierについてMelzoとBastaが異論を認めつつもほとんど武装していないか頭部と胸部のみ防具を着用しているとしているが、低地地方の勅令では背甲を含む装備が規定されたとしており、Dragonについては防具に触れていない。WardはHarquebuziersおよびCarbinesに対し兜、背甲、胸甲を装備しているとしている。 これらの変化をまとめると1598年から1639年の約40年間の間にHaruquebuzierとDragonerは兜や胸甲の有無など身体の重要部について細かい変化があった可能性が高い。 最終的に1671年のMonckの著書ではCuirassierを含む騎兵の防具はごく簡素化され、胸甲と背甲、籠手、兜のみとなっており、Dragoonの防具については何も触れられておらず、ほぼ防具を持たなかったと推察される。

結論

本項で記述した騎兵種および騎兵防具の変遷をまとめると以下のようになる。

1598年において重要視されていたものの、すでにその数を減らしていた「Man at Armes」は約20年後までに消滅していた。Lancierの消滅はやや遅く、Crusoを信じるならばCuirassier(Barretの記述するPistoilerと同兵種である可能性もある)に統合された可能性が高い。 HaruquebussierおよびDragonは1598年時点ではPetranellという一つの兵種であったと認識されており、その後1620年代までに分離した兵種と見なされたが、1670年代には再び統合された兵種と見なされている。
Cuirassierの騎兵防具は1630年代中までは大きな変化が認められず、1670年代になって腕甲などが消え、胸甲・背甲・籠手・兜のみを防具として着用する事となった。一方で1630年代まで兜などの防具を有していたHarquebussierは1670年代にはDragoonと統合され、ほぼ防具を持たない兵種となっていた。
いずれの兵種も防具に大きな変化が起きたのは1640年代以降と推察される。

本稿の結論として以下を述べる。
騎兵種のうち「Man at Armes」は1620年代までに消え去り、「Petranell」は1620年代までに「Haruquebussier」、「Dragon」という二つの兵種に分離した。「Lancier」は「Man at Armes」よりは長く残ったが1630年代中にほぼ消滅したか、Pistolierの流れを汲む「Cuirassier」と統合された。この結果、1640年代頃には「Cuirassier」「Haruquebussier」「Dragon」の3兵種が存在した。その後1670年代までに「Haruquebussier」「Dragon」が統合され、騎乗歩兵と見なされていた「Dragon」は馬上で射撃を行う兵種へと変化した結果、1670年代初頭には「Cuirassier」と「Dragoon」の2兵種が残った
このうち「Cuirassier」は1630年代まではほとんど防具を変化させず、腕甲などで全身の多くの部位を覆っていたが、1640年以降に防具を失い、1670年代には兜・胸甲・背甲・籠手のみを着用していた。 一方「Haruquebussier」は1630年代中に細かい防具の脱着を経ていたが、1640年代以降、「Dragon」と統合される過程で防具を失い、1670年代には防具を持たない兵種となっていた。

*1:ググれば簡単にテキストベースの文献が出てくる上に英語だから翻訳しやすい

*2:Thomas M. Spaulding, "Militarie Instructions for the Cavallerie” The Journal of the American Military History Foundation, Vol. 2, No. 2

*3: MEDICAL USE OF A SIXTEENTH-CENTURY HERBAL: GERVASE MARKHAM AND THE BANCKES HERBAL