三分の一

16世紀西欧軍事史やテルシオについて書く。

【試論】「従者」の比較軍事史

はじめに

近世ヨーロッパにおける軍隊と同時代の日本の軍隊を比較する際、武装から財政的基盤まで、多種多様な差異を見出すことができる。本来成立経緯も社会的背景も異なった組織同士を比較しているため当然ではあるが、一方で類似しているかのように見える構造もある。その一つが「兵士」に付き従い補佐する「非戦闘員」、すなわち「従者」の存在である。

ヨーロッパ、日本双方ともに近世以前から「従者」は一般的に見られる存在であり、同じように「戦士」に付き従う「家臣」としての性格を持ち合わせていた。しかし、両者ともに近世期においては「家臣」としてではなく、「兵士」に対する非封建的な「契約者」として現れる。この「契約者としての従者」には武具の整備、運搬などの役割や軍組織からの規制など共通する要素を見出すことができる。

こうした共通性について比較・考察を行うことで、例えばある軍隊が常備軍であるか否かといった、軍隊の性質に対する議論を行うにあたって何らかの知見を得ることを目標にしたのが本稿である。

本稿では常備軍的性質を持つ16世紀後期〜17世紀初頭のスペイン軍と、同時代の日本の軍隊の従者を比較し、軍隊組織が構成員である兵士に提供するモノと兵士が必要とするモノのギャップに着目しながら両国の軍隊の性質に対して考察を行う。

スペイン軍の「従者」

ここではスペイン軍の従者について取り上げるが、蹄鉄工や大工、小売の商人などは含まず、あくまで兵士と契約関係にあった従者のみを扱う。 近世期のスペイン軍において従者*1は公的には全ての兵士に帯同が認められていた存在ではなかった。

Sancho de Londoñoの著作では兵士300人あたり30人という数字が挙げられ *2、軍の規則では一個中隊あたりわずか3人しか認められていなかったものの、実際にはこれらの数字を大幅に超過する従者が存在していた*3。1577年のある騎兵中隊は兵士110名に対し従者が最低でも117名いた。ただしこれは平均よりもずっと従者の割合が高いと考えられている。同年低地地方を離れた退役兵5300名に付き従う従者は2000名ほどだった*4。 従者たちの役割は食料の調達・輸送、武具の清掃・維持・輸送などを担っていたが、その役割があまりにも重要であったため規定された人数を大幅に超過していたと考えられる。その他、中隊に配備された荷車の御者も務めていた。
従者たちは兵士と契約関係を結び、給与の支払いも兵士たちから受けていた*5。兵士が得た略奪品が運びきれない場合、従者に現金で売り渡すこともあったという*6
スペインに限らず当時のヨーロッパでは、従者は兵士に比べて年齢が若い傾向にあったが*7、中でもスペイン軍ではmochilerosと呼ばれる15歳以下の少年が含まれていた *8。 これら従者を保護し、また脱走を防止するために、スペイン軍では従者一人につき一人の監督者*9が付くこととされていた*10

行軍の際は従者たちは契約している兵士の隊列の後に追従し、野戦の際には一箇所に集められて待機していたらしい*11。ただし拠点防衛の際には前線の兵士に弾薬を補給する事もあったようだ。 野営地でも従者たちは兵士と宿営する場所が分けられていたらしい*12が、都市に宿泊する際は少なくとも一部の従者たちは兵士と共に都市を取り巻く城壁で休むことができたようだ*13

要約するとスペイン軍における従者は、兵士個人と契約し、兵士に対する様々な支援を提供し、見返りとして兵士から代金を受け取っていた。軍組織は従者の存在を公認しており、監督者を定めることで保護していた。戦闘が起きた際は従者は兵士とは別の場所に待機しており、平時には兵士とある程度距離を置いていたという事が言える。

日本の「従者」

16-17世紀の日本において、武家ではないが武家に何らかの形で奉仕を行う武家奉公人と呼ばれる階層が存在していた。武家奉公人足軽の証言をまとめたとする史料*14として「雑兵物語」があり、日本近世史の研究者根岸茂夫は「雑兵物語」に登場する人物たちの階層を以下4つに分類している*15

  • 前線における戦闘補助員としての足軽
  • 上級武士の供廻り及び身辺や乗馬の世話を担当する奉公人
  • 輸送用員としての矢箱・玉箱持ち及び小荷駄部隊の構成員
  • 騎馬の武士に付属する又者

このうち足軽は戦闘員であり、矢箱・玉箱持ち及び小荷駄部隊は個人との契約関係にはなく、戦場での補給の働きが主に期待されていることからどちらも本稿で対象とする従者とは見なせない。上級武士の奉公人は持鑓担、草履取などの役職が確認できるが、彼らは戦闘参加も期待されていた存在でもある*16ため、従者というより従騎士を思い起こさせる。一方又者は、一部に戦闘参加の記述がある者*17がいるが、「ご主人」から叱責されている事、鎧を身につけていない事、本人も「ためらい」を感じている事からあくまで例外的な行動であると思われ、また、又者に分類される人物によって来年の奉公先を選択する事が語られるなど、又者が「中下層の武家」と主従関係ではなく契約関係にある示唆がされている事から、本稿で取り扱う従者は、戦闘員である「又若党」を除く又者に限定する。「又若党」の左助は「ご主人」の「脇をかため」ることが想定されており、これは「若党」という役職が戦闘参加を期待されるものであったためと思われる*18。又者全てが非戦闘員ではなかったということを意味する興味深い記述である。

雑兵物語中において、又者の役割は武具の輸送・負傷者の搬送・馬の誘導*19などが挙げられている。おそらくこれらに加えて主人の食料や私物も又者によって輸送されていた可能性が高い。

戦国領主たちの間ではこうした従者=又者に対して様々な施策が取られていた。その多くは奉公人である又者が主人の許可なく契約を解除できないようにして従者の逃亡を抑止する性質のものや、または自領土の住人に対して従者としての契約相手を制限するなどの施策であり*20、これらは勢力間または武家間で従者を取り合う競争があったことや、より良い条件を求めて雇い主を選ぶ従者がいたことをうかがわせる。又者が広い範囲で必要とされていた事は確かであると考えられる。

上記の役割や施策はスペインにおいて見られるものと共通項が多い。一方で、戦闘の際に従者がどこに位置するかは大きく異なるように見える。例えば雑兵物語中で又草履取の加助は戦闘中の主人に弾薬の提供を申し出る*21など、主人のすぐ側にいるかのような描写がなされている。ただしこの描写には詳細が欠けており、何らかの防御構築物が存在したのかどうか不明である。

日本における従者について要約すると、中下層の武家と非封建的な契約関係を結び、様々な支援を提供する従者が存在していた。戦国領主たちはこの従者の存在を認識し、契約の制限や逃亡を抑止する規制策を取っていた。戦闘中の従者はしばしば前線で契約関係にある武家の側につき、例外的ではあるが戦闘に参加する事もあった。

考察

本稿では、スペイン・日本共に兵士と契約し、兵士に対し武具の輸送などの支援を行い、同時に兵士が所属する組織からなんらかの保護や規制を受けていた事を明らかにした。またスペインでは規定を大幅に上回る従者が存在し、日本では従者の契約関係を規制する法令が見られるなど軍隊が従者をめぐる競争関係にあったことを明らかにした。これらはどちらの国でも従者が兵士に対して提供する支援が軍隊にとって必要不可欠であったことを意味している。
問題はスペイン・日本ともに兵士個人と契約する従者とは別に、集団的な契約関係にある非戦闘員*22が存在しているのにも関わらず、なぜ従者という外部の存在に兵士と契約させていたか、という点にある。フランス近世史家のJohn A Lynnは従者について以下のように述べている。

従者は、国家が供給するモノと戦列の兵士が必要とし、または望むモノのギャップを埋めていた。((Lynn, p135))

つまり軍組織が兵士を支援する能力と兵士が期待する支援にギャップがある場合に「契約者としての従者」が現れるのである。Lynnは国家によって運営される軍隊について語っているが、すでに見たように日本における従者もスペインにおける従者と共通性が高く、Lynnの指摘は日本についても当てはまると考えられる。戦国領主や大名権力の軍隊に見られる兵士個人と契約する従者は、戦国領主や大名権力の軍隊が兵士に対し供給するモノと、兵士が必要とするモノにギャップが生じていたために存在したのである。

では、ギャップが生まれた要因は何か。 スペイン軍においては16世紀初頭から始まる軍隊の兵員増と組織改革に伴う常備軍化に対して武具の輸送や維持などの後方支援の能力が追いついていなかったことが挙げられる。
日本においては支援を必要とする兵士=中下層武家の増加が要因の一つとして考えられる。そもそも封建契約に基づく奉公人やそれを維持できる経済基盤の弱い武家の増加により、封建契約を持たない従者が生まれた、とする考えである。
この仮説が正しければ、日本においてもスペインと同じく軍隊において兵員の増加が起きていたと言える。 またスペインで起きていた常備軍化についても、日本では従者が容易に契約相手を変更できるほど中下層武家が恒常的に従者を必要としていたことから、同様に起きていた可能性があるが、この分野での研究の進展が必要である。

以上、本稿ではスペイン軍に見られた兵士個人と契約する従者と、日本における中下層武家と契約する又者の役割を比較し、両者の共通性からヨーロッパにおいて従者という存在が成立した要因の一部である兵員増という性質が日本にも存在した可能性を示した。 次項では、本稿では扱いきれなかった従者に関する未解明の課題とその意義を考えてみたい。

課題

主に本稿で取り上げられなかった課題は二つある。
一つは従者の戦場での位置がスペインと日本で大きく異なると考えられることである。スペインでは従者たちは戦場から隔離されていた一方で、雑兵物語の記述には、主人の側にいるような描写が多い。雑兵物語での記述では行われている戦闘が、会戦なのかskirmishなのか、野戦なのか攻城戦や防御構築物に拠った銭湯なのか、といった点が不明瞭なため、本稿では詳細に取り上げることができなかった。単純に戦闘様式の違いとみなすこともできるが、本来非戦闘員である従者を戦闘中に側に従えるのは合理的とは思えない。いずれにせよこの点の解明は戦闘様式の解明や戦闘文化の考察につながることが期待される。
二つ目はヨーロッパやアメリカでは広く見られる兵士の妻が従軍することが日本では見られない点である。ヨーロッパでは遅くとも14世紀には女性が軍隊に従軍しており、その大多数は戦闘よりも宿営地や行軍において活動し*23、 しばしば従者と同じような働きをしており、両者の役割は重複している部分も多い。日本でそうした存在が見られないのは、単に研究が進展していないという可能性もあるが、従軍期間の長さなどに起因する可能性もある。

*1:personas、bouches、mozosなど

*2:Sancho de Londoño, Discurso sobre la forma de reducir la disciplina a mejor y antiguo estado,p25

*3:Geoffrey Parker, The Army of Flanders and the Spanish Road, p150-151

*4:騎兵中隊はParker, p252、退役兵は同p151

*5:Londoño, p29

*6:Parker, Ibid

*7:John A Lynn, Women, Armies, and Warfare in Early Modern Europe, p34-35

*8:Pierre Picouet, The Army of Philip IV of Spain 1621-1665, p208

*9:los padres de mozos

*10:Londoño, p29

*11:Robert Barret, The theorike and practike of moderne vvarres, p101

*12:Barret, p104及びPicouet, p206

*13:Parker, p252

*14:証言がそのまま載せられているというよりは、 登場人物に著者の主張に沿った議論を行わせる対話編に近い性質の史料と思われる

*15:根岸茂夫, 近世武家社会の形成と構造, p20-23

*16:かもよしひさ, 現代語訳 雑兵物語, p75

*17:又草履取の加(嘉)助。かもよしひさ, p153

*18:藤木久志, 雑兵たちの戦場, p5

*19:かも, p153, p162, p196-197

*20:藤木, p120-123

*21:かも, p153-156

*22:スペインでは

*23:Barton C. Hacker, Women and Military Institutions in Early Modern Europe: A Reconnaissance, p643-644