三分の一

16世紀西欧軍事史やテルシオについて書く。

【試抄訳】Sancho de Londoño著『古き良き規律への対話』②

a3dayo.hatenablog.comの続き

(テルシオの編成・給与・特権)

各テルシオはその兵士のみからなる部隊、その軍旗、荷物とそれら全てを守る騎兵または多数の歩兵が必要であり、もし開けた林や他の兵士がいない場所の場合、それぞれ10列の横列を持つ4つの部分と47人のパイク兵を頂点に、53人を底面に持ち、荷物と障害物のために890人を中心に置き、両側には371人ずつ火縄銃兵を配置し、2つの中隊と慣習によって合計800人のパイク兵中隊8個の残りの58人からなる分遣隊(mangas)を2つ作り、escuadrón cuadradoを形成する。 2つの分遣隊が必要とする場合は、部隊正面の槍兵のみ引き抜くことができる。そしてこのような部隊は開けた場所では1400名の火縄銃兵と200名のマスケット兵によって───お互いに発砲時に兄弟を殺さないよう注意すれば───より強くなる。

なぜ戦列によって大きな違いがあるかというと、マスケットが固く地面に突き立てられた支え杖の上から、必要な火薬と共に1.5オンスの弾丸を放つ際、その前方には誰も立っていることはできず、またマスケットの重さのためにパイク兵と離れることもできないが、その射程は向かってくる敵のアルケブス兵を寄せ付けない。これは騎兵や100人程度の軽騎兵に対する完全な防御であり、連隊長の望みによってあらゆる場所で必要とされ、完全ではないにしても歩兵のものとしては良いことは明白だからである。

また兵士たち100人につき12人の、馬に乗ることを許された気高い一流の男たちがおり、彼らはくたびれた者を助け、普通の兵よりも素早く行動することが必要な時に行動する。

これらの馬、あるいは100人あたり12頭割り当てられる駄獣の保持のため、藁と干し草は指示に従って与えられねばならない。平時や休戦時の間は、少ない給与ではそれらを維持することも必要な物を買うこともできず、兵士は衣服を悪く仕立てるようになり、馬を失い徒歩で長時間歩かねばならなくためである。 これらの必需品が取り除かれてしまうと、スペイン歩兵の活力である気高さが失われてしまう。

陸でも海でも軍旗に付き従う男は結婚には適していない:増していく不自由さを解消するため、100人の兵士に対し少なくとも8人の女性が割り当てられることが許される。良き規律のある共和国では大きな痛手を避けるためにこの種の人々が許可されているため、街区の住民を攻撃し、その女性や子供、姉妹を手に入れようとする行いや、遠征中のあってはならないより危険な、しかし通常の、従来言われているよりも多くの行いを行うだらしのない屈強な男がいる非共和国でもこの種の行いが許可される必要がある。

300人の兵士に対し30人の下男が許可される。ただしこの300人には中隊長、少尉、軍曹、伍長は含まれず、下男の人数は中隊あたり53人が上限で有り、軍役につかない兵士は下男を得てはならない。

スペイン本土のように、各テルシオは下男1人に対し1人の保護者を持たなければならない。保護者は下男に対し許可なく放浪者とならないよう、また仕える相手によって誤った扱いを受けないよう責任を持つ。

上述の馬、駄獣、女性、下男は、850人以上で形成される戦隊の中央に配置されるべきではない。 兵士達をより詰め合いにさせ、良い状態から引き摺り下ろしてしまうためである。

多くの障害を回避するためには───避けられないものもあるが───1600人の槍兵が必要であり、また分遣隊とそれらの守備には1400人のアルケブス兵とマスケット兵が充分である。 ある人が言うには、これら必要な兵士が揃えられるのは数回しかなく、多くの場合ではアルケブス兵はパイク兵よりも役立つとのことだが、それはそうだが、それらが揃えられた一度きりの場合に備えて常に準備するのが望ましい。 またもし限界がなければ、弾を撃つアルケブス兵になりたがらない兵士はいないが、その必要性についてよく考えることが望ましい。

火薬、火縄、鉛の代金のため、各アルケブス兵は1エスクード分の利益(ventajas)が与えられている。 このような利益は身につける兜に対し1トストンとさらに4エスクードが与えられる。 テルシオが制定されたイタリアでは平地よりも林と堀が多く、整理され、12個の中隊が良い状態で1個のテルシオを編成していた。中隊のうち2個はアルケブス兵の中隊で、彼らは他の部隊のように1トストンの利益を受け取っていた。それで充分だったからである。 アルケブス兵に3エスクード以上の利益を与えることは上に挙げたような理由のため許可されていなかった。遠征中はより制約されておらず、アルケブス兵の数が多すぎたためである。アルケブス兵を守り、戦隊の力となるパイク兵は欠乏しており、良いアルケブス兵に必要な物資を集められる3エスクード以上を受け取る兵士がいない上に、物資を集めることを許された者は仕えることをやめて近くの者を殺したので中隊長が許可を出すまで物資を集めることを禁止された。 それが利益を与えることの代わりとなったが、特にアルケブス中隊において、これらの処理には十分な注意が必要だった。許可を得られない兵士はより許可が得られそうで、特に平時や休戦時には仕事がほとんどないパイク兵中隊へ移る目論見を抱いた。これら全てのために、アルケブス兵はよりスキルの高い者達から選ばれるべきであり、中隊長も同様である。戦争は多くの出来事が起こり、それらがこれらのアルケブス兵のなかに見出されるからである。彼らはそれぞれが必要に応じて、与えられる利益と土地が許す必需品に見合うよう指導されるべきである。

(訓練)

ルシオを編成するにあたっては、兵士は取り掛かる事柄の成功に必要な全ての訓練を行わなければならないと言われている。 良き軍事規律に関わるローマ人の例に倣うと、最初に彼らが新兵に見せたのは軍隊行進(paso militar)だった。秩序立った行進、または戦隊での移動はとても重要であり、もし最初に兵士が継続的に迅速・一様に行進することを習わないのであればそれらが不可能になるだろう。ローマ人はばらばらに、または無秩序に行進する軍隊は、もし敵が近くにいたならば大きな危険を引き受けているため、それを見せることに強い勤勉さを発揮した。 夏の中間に5時間軍隊行進を行うと20000歩になり、ローマ人がplenoと呼んだより早いペースでは24000歩になる。さらに早いペースでは走ることになる。 敵を攻撃する際など、多くの場合には走ることが必要になるため、ローマ人は兵士にその訓練をさせていた。 それと同様に、道路に堀、壁、生垣があった場合に備えて、兵士達に跳躍の練習をさせていた。この必要かつ困難なことが起こった時に辛苦なく達成できるようにするためである。また川を渡る時に常に橋や船が見つかるわけではなく、急な雨や雪によって増水することによって、行軍中や退却中の軍はそれらを泳がざるを得ない場合のために、歩兵だけでなく、騎兵、その馬、下男も、軍事訓練の後に泳ぐことを訓練していた。

ローマ人の軍隊が使っていた武装とその訓練法は現代とは大きく異なり滑稽にさえ見えるが、それらは非常に重要であるため、彼らの武装と訓練について下記に記す。 gravis armaturと呼ばれる歩兵は胸甲(corazas)、兜(celadas)、鉄の盾を持ち、右の足には腿当てと脛当てをつけ、短い剣を吊るし、長い槍を持っていた。このような武装をした兵士からなる戦隊は、敵の投擲物からだけでなく、熟考された攻撃の下でも防護が可能であることから城壁(muro)と呼ばれる。 これらの重武装の兵士は、特に新兵には午前中の1時間に、その他の者には午後に、地面に固く突き立てた木の棒で切りつけ方や戦闘中の動きを訓練させていた。 その他の射手や弓兵、投石兵は、毎日各武器ごとに2時間の訓練を行なっていた。 月に3度、上述の兵士を全て集め、重要な4日か6日間分の食料を持ち、通常の歩兵は往復1万歩、騎兵は同じく1万歩歩くが、道中常に平地と斜面を行き来し、あらゆることに備え、必要な際に疲れていることがないようにしなければならなかった。 彼らには必要に応じて外国人よりもより少ないコストで大きな利益をもたらす少数の熟達した教師がおり、上述の訓練を見せていた。 ともかく、上述のレギオン兵の訓練は現在に至るまで良いものである。

上記全てにおいて、我々の時代の武器に合わせてローマ人を模倣するのが望ましいが、より主要かつ重要な訓練は、毎日宿舎が変わることを不満に思わないようにするために、可能な限り不快さに耐えさせることである。これは我々の兵士に、多くの勝利を重ねたアレキサンダー大王がバビロンでわずか15日休んだ後にその都の悪徳に打ち負かされたような、またはヘラクレスの円柱からイタリアに至るまでに諸国やローマ軍を圧倒したハンニバルが、カプアで冬を越したためにその享楽によって打ち負かされたようなことが起きないようにするためである。ローマ人は高い規律により既知世界の主人となった後で、長い平和とその間に失われていく規律を無視したことで、第二次ポエニ戦争で何度もハンニバルに圧倒され、多くの執政官と中隊長を失ったが、軍が古い規律に立ち戻った後に勝利が始まったのである。

狩猟はとても有益かつ軍に向いた訓練であり、古代人もそのために兵士の狩猟を禁じることはなかった。高名な哲学者でありモーセの人生の著者でもあるFilón Judioも、協調的な狩猟または試演は、良き王に仕える牧羊犬に効果のあるように、兵士や中隊長の技量を高めると主張している。 したがって、兵士は閉鎖された公園外、または王の娯楽のために特に保護された地域外での狩猟を禁じられるべきではない。

仕事のために土地と家を離れ、血を流し祖国・法・王のために死んだ者は、その特権と税の免除を保護されるだけでなく、年金と法の保護が与えられる。 兵士達の給与はその家族・従者、馬、武装を維持するためであり、同様の物資のためのものではないため、兵士が給与以外で稼ぐ必要はない。兵士の稼ぎは貴族の生まれである者が維持できなければ憤慨するだろう自由や高貴さのためでもある。

(軍隊の規模)

軍勢は多数であるためにそう呼ばれ、訓練された歩兵と騎兵、その補助を行う者、指導者の集合体であるが、それを形成するに当たってはその規模が大きければ大きいほど理想的というわけではないことに注意が必要である。なぜならクセルクセス、ダレイオス、ミトリダテスあるいは無数の軍勢を率いたその他の王たちのように、夥しい大軍はその大勢のために苦しむからである。多くの場合、大軍はその苦悩のため、戦隊の動きは緩慢となり、少数の敵の攻撃にさえ、あるいは川を渡る際にもその障害のために容易に挫けやすくなってしまう。無数の人間や動物のために食物を見つけ、運ぶのも難しくなり、頻繁に十分な水を見つけられなくなり、軍勢が一日でも滞在した場所では病気は極めて早く大気に充満する。戦いの後にやっとの事で軍隊を解散し、再編成すると、多くが死に、あるいは失われていることに気づくだろう。 これが困難に対する対策を学んできた長い経験を持つ古代人が、訓練と規律ほどには大軍を求めなかった理由である。

ローマ人にとって、小規模な戦争には1つのレギオンで十分だったように見える。いくらかの補助を行うものが加わったレギオンは、歩兵1万人と騎兵2千人のプレトリア(Pretorial)と呼ばれる軍となる。法務官(Pretor)によって率いられるためである。しかし敵の軍勢がこちらよりも多いことがわかっている場合、他のレギオンとその補助を行う者を加え、2万人の歩兵と4千人の騎兵でローマで育った執政官(Cónsules)によって率いられるコンスラー(consular)と呼ばれる軍となる。しかし敵がより大勢の場合、2つのコンスラーが合わさり、2人の執政官によって率いられることになる。こうしてローマ人は軍勢の大きさによって苦しむことがなかった。 ローマ人は常に戦争をしており、異なった地域で多くの民族と戦っていたが、これで十分であった。

彼らはより大きな軍隊よりもよりよく訓練された、規律ある軍隊の方を評価していたため、特に兵士と補助を行うものは騒ぎを起こす怠惰による給与の遅配や危険な仕事を行うための物資の遅れより、軍団の補助を行う者が多くならないよう注意を払っていた。 つまり、軍勢が合流する前に必要な物資、特に食物を供給するのが望ましい。戦いの際に貧困な軍隊は何倍も消耗し、飢えは鉄よりも残酷だからである。 だから遠征に対する重要な助言は、戦闘が行われる場所を考慮し、その地域全体およびその周辺の収穫物を計算と根拠によって保存・分配することで、敵の食料を欠乏させ、同胞の食料を豊かにしなければならないということだ。

なぜなら遠征が終わると、敵はその仲間を助けるか、あるいは破壊活動を行い、味方は1日で食料を浪費してしまうが、命令によって資金の不足や物資を買う十分な資金がない状況を補い、一ヶ月は分配することができるからである。 これら一つか複数のものが欠けている場合、攻撃的な戦争は、通常始める手はあるが、終わらせる力はないため、防衛的に、常に十分な監視と共に必要と思われる以上の量を供給し、陣営を築くのに最適な場所で、食料を分配するのに遅延することのないよう集積しなければならない。

軍全体の活力は、パン、ワイン、肉、塩、油、酢、水、ライラック、藁、干し草、大麦その他が欠乏しないことによって保たれる。

(行軍)

軍の行軍、特に敵が近くにいる場合の行軍には大いに注意しなければならない。行軍中は、兵士の武装と戦闘への決意がある戦隊を組んでいる場合と比べて何倍も敵に破られる機会があるからである。指令がないと行軍中の兵士はその必要性を感じないため、また考えがないために多くが十分な武装を持とうとせず、いかなる敵の攻撃にも容易に混乱させられ、一度混乱するとほとんど指令に従わないからである。

ある場所から出発する前には必ず前方の道が平坦で開けているか、または山地か、指示された兵士が通るのに邪魔はないか、よく考え、また知らなければならない。

このことを考えるにあたっては、戦争が起きる地域が広範囲に、はっきりと描かれている彩色画が大変有用である。また道だけではなく、住民と道の障害となるもの、周囲の状況全てを戦線正面やsさらには側面全てを考慮せねばならない。また、スパイや偵察兵を信じ切ってもいけない。しばしば彼らは無学な素朴さによってありえないことを進言してしまうからである。 これらの困難を解決し、彼らスパイや偵察兵を用いるには、歩兵または騎兵の中から、充分な経験を持ち、熱心に見たもをを全て書き残し、先の道について進言できる者を選ぶことである。 野営地につくのが遅れてはならないからであり、特に夜間には指揮官の混乱が様々な混乱をもたらすためである。

(野営)

野営とは、はっきりとした法則にまとめられず、例外によって苦しめられることもある敵との距離、敵の人数、質によって検討する技術であるために、忠告できることは無数にあるが、 野営に適した良い場所を選ぶだけで満足しないことだ。より良い場所を敵に占領された場合、その砲兵による攻撃で食物や牧草の補給を妨害される。

より健康的で、安全で利益があるように見えても、常に高地を占領するのが良いとは限らない。その場所の高度が高すぎた場合、水や牧草の補給を妨げ、より低地にいる、それら高所特有の問題を何ら持たない軍隊と戦うことを強いられるからである。またこれらの不利をもたらす原因は多くあり、その一つ一つが軍を戦うことなしに不便に陥れる。

坂の途中での宿営も常に安全とは言えない。特に坂を登るのに疲れ、息を切らした軍勢が、頂上まで長い道のりが残る場所にいる時は、敵の急襲に十分に抵抗できず、また士気の落ちた兵士たちの抵抗は、平坦な場所で休むまで弱くなる。同様のことは坂の頂上付近でも起こりうる。

平地で野営する際には、近くに敵の砲兵がそこから攻撃することのできる高所のない場所を選ばなければならない。また突然の雨や雪によって起こる洪水から離れなければならない。また少量の雨で動けなくなる湿地や泥地を選んではならない。

上述の事柄全てをよく考え、その場所と必要性に応じて、野営地全体の形を四角形にするか、三角形にするか、円形にするか、または細長い形にするかしなければならない。またその野営地は実用性を損なわないために細くなりすぎてはならない。細くなると兵士達が広がることができないために詰まってしまうからだ。

もし各テルシオまたは各連隊ごとの歩兵または騎兵の宿舎は、可能であるなら別の場所に分け、軍の市場で区切るべきである。特に重要なのはそれぞれがそれらの商人達がいる市場に障害なくいけ、主要な市場を取り仕切る者達が野営地全体の中央におり、弾薬、物資、およびサービスなど必要なものが通りに集められ、あらゆる人々が障害なくそれを利用できることである。

野営地の出入り口は、補給品やその他の人々や動物達に必要なもの、もし野営地に無ければ水を運び入れるために最も適切な箇所でなければならない。また飲み水を無駄にしたり、濁らせてしまう場所であってはならない。 同様に、これらの出入り口は広く、もし必要がある場合は外に素早く出撃して戦隊を組み戦えるよう計画されている必要がある。

要塞化することが可能な時、特にその余裕が数日間あるときはいつでも野営地を要塞化するべきである。また敵が近くにいる場合には、多くの兵士を野営地の周囲に配置するよりも、より労力いらずで安全なのは、柵か塹壕で野営地全体を囲んでしまうことである。