「私は『ex evolutionibus』にマスケット兵とアルケブス兵に継続的に射撃させるだけでなく、効果的に射撃させるための戦闘隊形を以下のように見出した。
一列目が同時に射撃するとともに、後方に下がり、二列目が前進し射撃、その後後方に下がる。その後、三列目も同様にする。こうして最後の列が射撃する以前に最初の列が装填する…」
1594年12月18日付ウィレム・ローデウェイク書簡
「私は『ex evolutionibus』にマスケット兵とアルケブス兵に継続的に射撃させるだけでなく、効果的に射撃させるための戦闘隊形を以下のように見出した。
一列目が同時に射撃するとともに、後方に下がり、二列目が前進し射撃、その後後方に下がる。その後、三列目も同様にする。こうして最後の列が射撃する以前に最初の列が装填する…」
1594年12月18日付ウィレム・ローデウェイク書簡
反復行進射撃、いわゆるカウンターマーチははウィレム・ローデウェイクのこの書簡に期限を求められることが多い※1
しかし実際にはそれ以前から複数の書籍が行進射撃に言及しており、カウンターマーチの起源をウィレム書簡に求めるのは適切ではない。
例えば元オランダ軍兵士Thomas Diggesが1571年に刊行した『An arithmeticall militare treatise named Stratioticos』で25人の部隊が行う「リングマーチ」について記しているし、
Thomas Stywardの1581年の著書『The pathwaie to martiall discipline』にも記述がある※2
当時オランダと戦争状態にあったスペイン軍も、ウィレム書簡以前に行進射撃を取り入れていたとみられ、例えばスペイン軍に14年間従軍した兵士が1587年以前に書いたとされる『The arte of warre』には以下のような記述がある。
「戦場が広く、平野であれば、銃兵はより大きく強くなり、敵に逆襲するには、(銃兵の)正面が発砲すると最後列に下がり、そこで再び装填し、再び敵との闘いに加わる」
「兵士たちは…隊列正面の第一列から横列の間を通り抜け、以下のように戦友たちの後ろにつく。」
図1
「これら三つの隊は、戦場に歩み入り、また横列の間を抜けて後退し、必要があれば他の隊を助けるか、最後列で装填し、再び前進して戦う。このようにして継続的に戦い、斉射を維持することができるだろう。
図2
a href="http://a3dayo.blog.fc2.com/img/img115-2.png/" target="_blank">
Diggesの記述はウィレムの物とよく似ており、90年代にオランダ軍が採用し始める射撃戦術がすでに80年代のスペイン軍に存在したことを示している。
しかしスペイン軍のこうした射撃戦術が注目されることはあまりない。
こうした書籍の中から、著者がスペイン軍に従軍しており、かつウェブ上で閲覧可能な1597年刊行、Robert Barret著『The theorike and practike of moderne warres』の行進射撃に関する記述から当時のスペイン軍の射撃戦術について考察したい。
『The theorike and practike of moderne warres』で最も具体的に行進射撃が記述されているのはP42である。
「第一列は3~4歩前進し、(槍兵の)右手の隊列は右へ半歩、左手の隊列は左へ半歩踏み出すことで銃を構え、火挟を起こす空間を空ける。そして第一列兵士全員が迅速に準備を終えたら、
マスケットを股杖にのせ、一度発砲し、その場に留まり、再び装填し、後続の列に前を行かせる。
第一列の前に出た第二列は…第一列と同じように発砲し、それから第ニ列の前に出た第三列も、第三列の前に出た第四列も同じように発砲する。他のすべての列がこの二重行進を行った結果、
最後の列には第一列が再び後に続く。」
この記述はウィレム書簡とも『The arte of warre』とも大きく異なり、前進しながら射撃することを想定している。
80年代から90年代にかけて、射撃戦術が変化していた可能性をうかがわせるが、推測の域をでない。
なおこの記述は1634年に出版されたGerrat Barry著『A discourse of military discipline』P134にほぼそのまま引用されており、イングランド及びアイルランド兵によって継続的に採用されていた可能性がある。
次いで著者は「イタリア人とスペイン人」が行っていた斉射を次のように記述している。※3
「マスケット兵に斉射をさせるには他の方法もある。私はそれがイタリア人とスペイン人によって行われるのを見た。
マスケット兵を30~50人に分け…一列に3~5人の兵士が並び…マスケット兵たちは幾分か近すぎるほど密集して列の間を詰め、半月を描くように…転回し停止する。
そして素早くマスケットを股杖に乗せ、肩が触れ合うほど近づき…全員一度に発砲する。そして後退し、他の兵士に場所を譲る。」
この射撃法はウィレム書簡、『The arte of warre』、そしてBarretらイングランド人兵士が行っていたと推測されるもののいずれとも明確に異なり、銃兵同士が密着して行うことに特徴がある。
記述通りならば横列の兵士間に隙間を持たないために、後退する際は横列の隙間を抜けるのではなく、横列が転回して横にずれ、後退したものと考えられる。
これはイングランド人の射撃戦術がいわゆるrank by fileであったのに対し、スペイン人・イタリア人の射撃戦術がrank by rankであったことを示している。
ではなぜBarrettの部隊と「イタリア人とスペイン人」の部隊の射撃法は異なっていたのか?
この疑問を考えるには「イタリア人とスペイン人」の部隊と、書籍の著者らの部隊の差異を理解しなければならない。
当時のスペイン軍はスペイン人、イタリア人、ドイツ人、ワロン系住民、そして著者らのイングランド人と、複数の地域出身の兵士で構成されていた。※4
それらの部隊は現地で組織され、低地地方へ派遣されるか、低地地方で組織されるかのどちらかであったが、例外があった。スペイン人である。
スペイン人はスペインで組織されたあと、いったん海路でイタリアへ送られ、要塞で数年間訓練を行ったあとアルプス山脈とロレーヌ渓谷を通り、フランドルへ派遣されていた。
ハプスブルグ家は16世紀前半からイタリアにスペイン人部隊を駐屯させており、有事の際には即応軍として機能するこれらの部隊が低地地方の反乱鎮圧のためにも使われたのである。
低地地方へ派遣された部隊の穴埋めにスペイン人が送りこれ、数年後にその部隊が低地地方へ派遣された後に穴埋めとして再びスペイン人が送り込まれる、そうしたサイクルが成立していたのである。※5
その際、要塞で数年間訓練を受けるなかで採用された射撃戦術がBarretが記述するものであった、と考えられる。
つまり「イタリア人とスペイン人」の射撃戦術はイタリアにおいて発展した、「イタリア式カウンターマーチ」なのではないだろうか。
イタリアでは16世紀前半には古代ローマの軍事書などが軍人によって読まれており※6、また16世紀中盤まで続いたイタリア戦争の舞台となっていたため、射撃戦術が進歩する余地は十分にあったと思われる。
出来ればこの仮説を証明したいが、イタリア語・スペイン語の能力が極めて低いため、どうにもならない。
現実は非情である。
なお、ウィレム書簡ではrank by fileが記述されているが、1608年に出版されたexcises of armではrank by rankについても記述されており、スペイン軍からの影響をうかがわせる。
前述の仮説の検証とこの影響については今後の課題と語学習得の動機としたい。
スペイン軍に加わった初期のイングランド人は、元はイングランド王によって設立され、低地地方へオランダのために送られた部隊であった。
彼らはLier、Aalst Deventer Zutphenなどでスペイン軍に寝返った兵士たちだった。
その後、
『The theorike and practike of moderne warres』の「イタリア人とスペイン人」といった記述も、イタリア人部隊とスペイン人部隊のことを指している。
参考URL
https://quod.lib.umich.edu/e/eebo/A01504.0001.001/1:5.2.17?rgn=div3;view=toc
https://quod.lib.umich.edu/cgi/t/text/text-idx?c=eebo;idno=A04863
※1
桜田実津夫『物語 オランダの歴史』P42など。
※2
Geoffrey Parker,『The Limits to Revolutions in Military Affairs: Maurice of Nassau, the Battle of Nieuwpoort(1600)』The Journal of Military History, Vol. 71, No. 2 (Apr., 2007), pp. 331-372,p337
※3
なぜかこの記述はParkerの前掲論文では取り上げられていない。
※4
Eduado de Mesa,The Ilish in the Spanish Armies in the Seventeenth Century p9-10
Geoffrey Parker,The Army of Flanders and the Spanish Road 1567-1659 second edition p23-27
※5
Parker,Army of Flanders、p28,p50
※6
Michael Mallett and Christine Shaw,The Italian War p187